3
テストがひと段落しました。
ミスチルの歌詞をたよりに、「男/女」の差異化を考えてはじめているところでした。
恋愛とは何か。
非常に難しい問題です。
比較の視点を持つとわかりやすくなったりするので、ありがちな議論ですが、「恋愛」を、「友情」という似て非なるものと比較して議論を進めていこうと思います。
まずこの詞を。
君が好き 僕が生きるうえで これ以上の意味はなくたっていい
――『君が好き』
僕らは感覚で「恋愛」の詞だな、と思ったりもしますが、そうとは限らないんですよね。「好き」という形容は、「友達」にだって使います。でも、こうなるとそうはいきません。
車の中で かくれてキスをしよう 誰にも見つからないように
疲れ果てたまま 眠りについた君を いつまでも見守っている――『車の中でかくれてキスをしよう』
これを読んだ瞬間、「あ、このふたりは恋愛してるんだな」ってなりますよね。その違いはどこにあるのでしょうか。*1
桜井氏は、「恋愛とは何か」という問いに対し、いくつもの側面を提示しています。それを一般化するのは強引な気もするのですが、彼の提示した答えをひとつずつ吟味していきましょう。
「恋愛とは何か」に対するアンサーソングは、彼の初期の頃から書き続けられていて、どれを例にとるのかが難しいところです。タイトルが一番それっぽいものを選んでみました。
抱きしめたい 溢れるほどの 想いがこぼれてしまう前に
――『抱きしめたい』
試みに、『Replay』『君がいた夏』『CROSS ROAD』など、有名な初期の曲をカテゴライズしてみます。こういった歌詞の中に潜む「イデオロギー」にターニングポイントがあるのかどうかも疑わしいところですが、例えば、次のような詞を考えてみましょう。
さあ 手を繋いで僕らの今が 途切れないように
その香り その身体 その全てで僕は生き返る――『口笛』
僕は、この歌詞の雰囲気の変化を、「2人称の登場」という観点において大きな変化であると考えます。「君」という言葉の有無ではなく、「君」という存在が、歌詞の中で大きな意味を帯びてくるのです。「君」にも、「僕」を選ぶ選択権を与えてあげるよ、といったように。この部分、賛否両論あると思います。
その一方で、「2人称」を完全に消失させた歌詞も書くようになります。これは全文引用したいですが・・・
LOVE はじめました
男性の側から、「恋愛」を販売する、という詞を書いたのです。しかし、それが「恋愛」のひとつの形態として成立する、という逆説*2を、この詞の中で見事に書き切ったのです。(http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A01054)
殺人現場に暇潰しで野次馬たちが群がる
犯人はともかくまずはお前らが死刑になればいいんだ
なら僕は 愛してる人に愛してるというひねりのない歌を歌おう
「2人称」の登場という発想は、恋愛を語る歌詞の中で必須条件というわけではありません。しかし彼らは、「2人称」を、意図的に、中途半端に取り扱っているがゆえに、人間くさい歌詞を自由に操ることに成功しているのです。
彼は、「友情」との差異化についても、このように言及しています。
でもHEROでありたい ただひとり 君にとっての
――『HERO』
さあ、これが恋愛なのかどうか。いよいよ難しくなってきます。歌詞全体から、これが恋愛であることはわかるのですが・・・
そして彼は、全く同じテーマでふたつの詞を書きました。これは、「恋愛とは何か」という命題*3に、ぐっと近づく歌詞だと僕は考えます。
恋愛を構成する要素は、ふたりをつなぐ「記号」であるという詞を。
これについては、次回に詳しく述べます。
次回は、『Sign』と『しるし』の解釈で終わってしまうと思います。