1 若者のソーシャルネットワーク

スイマセン、あまりに書く時間がないので、
過去に大学で書いたレポートを転用します。
あまり納得のいっていない部分もありますが、長期休みなどを使って再度考察したいと思います。
題材は、浅野いにおという新進気鋭の漫画家さんです。
ほとんどレポートの原文ママですが、一部削り、分かりやすくした部分もあります。



浅野いにおは、2000年にデビューした漫画家である。2002年から初の連載『素晴らしい世界』を開始し、その単行本が10万部を売るベストセラーとなり、注目の漫画家となった。2009年現在、28歳である。
彼の描く作品の舞台は全て、団地や住宅地、あるいは繁華街などといった現代の日本であり、ありがちな生活の一コマを叙情的に描くことに定評がある。
今回の論考では彼の初の連載作品である『素晴らしい世界』を取り上げ、そこに描かれる多様な若者の生活観と若者同士の世界の結びつきを考察してみたい。


『素晴らしい世界』は、19編の短編からなる作品である。この短編の全てが緩やかなつながりを持っており、例えば短編と短編の間に2コマの漫画を通して、以下のことを描いている。
姉の主人公が引っ越しの際に、次の短編の主人公であるその妹に不要になったぬいぐるみを渡しているというシーンであり、視点人物が次の短編で入れ替わることを示唆しつつも、前の短編との関わりを表現しているのである。
こういった手法の結果、作品全体をひとつの長編として有機的に結びつけることに成功している。これは、作品中に登場する若者(視点人物のほとんどが、10代後半〜20代前半の若者であるという設定も、浅野いにお作品の特徴である)が何らかの有機的なつながりを持っていることが示唆されている。以下では、いくつかの短編に重点を置いて、青年期を迎えている若者同士のつながりと生活観について考察する。

1. 中学生の生活観について(「5th program 白い星、黒い星」より)

「俺が彼女とセックスしてる時、アメリカでビルが崩壊した。」という書き出しで始まるこの短編は、非行少年である中学生の主人公が、先生や大人たちの前では「優等生の生徒会長」を演じている様を描いている。主人公ホヅミは、いじめの主導者となってひとりの少年ノダを不登校に追い込むが、教師からの人望の厚いホヅミは、ノダの家に家庭訪問することを勧められる。ホヅミは理知的な少年であり、彼はノダをいじめた理由として、ノダ自身に以下のように述べている。

おまえ[ノダ]はつけ入るスキがアリアリだったんだから。他人にスキを見せるヤツってのは、生きることを甘く考えてるヤツなんだよ。俺はおまえを嫌いなワケじゃないさ。ただ、強い人間と弱い人間の区別をはっきりさせたかったんだよ、俺は。そうやって自分の居場所を自分で作ってんだ。(p.128)


 一緒にいる中学生に対しては、他をトップに立たせないようなリーダーシップを発揮し、教師や親に対しては、周りを安心させるリーダーシップを発揮させているホヅミは、彼の暮らすコミュニティ内では「強い存在」なのであろう。しかしそうした「ニセモノ」の自己により形成されたコミュニティ内の自我は脆弱であり、汎用性に乏しい。彼はノダから「結局一番弱いのはお前だろ?」と一蹴されてしまうのである。
この短編では、中学生によって形成されるコミュニティの狭さを際立たせるために、物語冒頭に大きな物語(の崩壊)を示す「9・11テロ」が掲げられている。浅野いにおは別作品でも、テロを以下のように取り上げている。(「日曜、午後、六時半。」p.107-108『世界の終わりと夜明け前』より)*1
9・11テロが青年期の若者に与えた影響を簡潔に述べることはできないが、この短編で9・11テロは、大きな物語において「強い人間」と「弱い人間」の区別をつけた最たる事件として描かれているように思われる。中学生が、自分のアイデンティティを得るために、自分とは全く関係ない世界で起こった大事件に触れながら、自分が行使する暴力を仕方のないものと捉えているのである。
次は、中学生を題材とした短編をもう一つ紹介する。

*1:図はここでは省略した。