アブストラクト

7回に分けて論じた「ミスチル記号論」は、以下の2つを主眼として書かれています。

 20世紀に隆盛した「記号論」という学問領域を、J-POPの歌詞に適用すること

僕自身、記号論という学問に詳しいわけではありませんが、「書かれた言葉・テクスト(テキストは一体何を表象しているのか」という問題は、僕が常に念頭においていたテーマのひとつでした。その問題に取り組む中で、必ず援用すべきだと思っているのが「記号論」という学問領域です。

本文中でも、waterと水/湯の違いについて語っていますが、ある一単語を取り上げるだけでも、その言語が使われている文化背景を想起することができます。それと同様に、小説や歌詞においても、話者の心情や作者の意図までもがテクストを参考に掴むことができるのではないでしょうか。

 歌詞に表れた「文化」を基礎として構築された、ミスチル的現実認識を再考すること

この点に関しては結局、問題提起をおこなうくらいしかできなかったなぁと反省しています。

ある友人が、「ミスチル嫌いな人がいるとか信じられない」と語っていましたが、確かにミスチルは、今の日本人の最大公約数に近い存在だと感じられます。大体の人が聞いていて、大体の人が「嫌いではない」。
この認識を疑ってみたくてこの論考を書き始めました。もちろん僕も、上記で言う「大体の人」に該当するのですが、この状態はかなり異常だと思いますよ。あるアーティストが作り出した世界観に「大体の人」が共感し、それを認めている。(同意している、とは言ってませんよ!w)
そこで、ミスチルが歌詞によって作り出す「世界観」・「文化」を相対化する試みとして、「ミスチル記号論」を書いたのでした。その文化が良いか悪いかの価値判断は別として、知らず知らずのうちにミスチル文化に染められている可能性を想像すること、つまり自己を相対化する試みは決して無駄にならないと信じています。


以上、800字くらいでまとめてみました。興味のある方は、「ミスチル記号論」をお読み頂けると嬉しいです!