『群青』が解体する「日本」9


続き。この水木若菜という同級生と恋仲になるルートでは、「自分のため」に戦争に参加する姿に焦点が当たっている、という話でした。それは戦争という極限状態を戦い抜くために必要な「意志」とでも言い換えられるのかもしれません。戦争のきっかけ自体はプロパガンダ的なものであっても、ひとりひとりの人間が自らの考えで銃を取り、「戦い」という選択肢を選んでいるのだという個々の主張を表している、と考えることができます。

ところがもうひとつ、このルートには特筆しておくべき内容があります。この若菜ルートにおいては、「戦争」という特殊な状態を、「日常」の中で捉えようとするセリフがいくつか見受けられます。

たとえば、主人公は、若菜とお付き合いする前に一度、彼女の告白を断っています。その断り文句が以下。

心配をしてもらえる立場になったら、戦えなくなるのではないか。俺は思ったより弱いから、恐怖から逃れるために、やさしさにおぼれる。だから離れたい。


何も言い返せない少女。彼女は友人にグチをこぼします。

戦争を理由に避けられたのが悔しい。


戦争という特殊な状況を利用して断るのではなく、「ちゃんと」断ってほしいというのです。極限状態だからこそ恋心が芽生える、というと吊橋効果を想起させますが、極限状態だからこそ、その極限を根拠に人間関係を規定されるのが気に入らないようです。


また、こんな彼女のことばからも、「戦争」という特殊な状態を「特殊」とみなさない態度がうかがえます。

恋人としてつきあって、絶対に死なない人なんてどこかにいるの?

平時に暮らすわれわれも、交通事故や不慮の事故で恋人を失うかもしれない。「戦争」と「日常」を峻別することの無意味さが手に取るように感じられますが、となりの町との「戦争」を描いた『となり町戦争』という映画で語られる、「全世界で全く戦争が起こらなかった日を足し合わせても1年に満たない」というエピソードも、われわれが戦争を特殊に捉えることに疑義をさしはさんでいるようです。


このルートには、「自分のために戦う」ということをめぐってさらに重要な内容が含まれています。つまり、じゃあ「自分」って一体だれのことまでをさすのか。「自国」なのか、「自民族」なのか、はたまた…という問題もあるのですが、それはさておき、もうひとり、渋沢美樹というヒロインの「戦争」についても見ておきましょう。彼女は、主人公の上官にあたる、「戦争」のはじまりから戦いぬいてきた優秀なパイロットです。このルートでは、「戦う理由」は、自分のためでも他人でもなく、「わからない」のだ、というふざけた内容が語られているのですが、詳しくは次回に。