『群青』が解体する「日本」7

もう7回目になるのに、アブストラクトの5項目のうち、ひとつも達成されてなくて笑ってしまった。とりあえず、「なぜ『戦争』に参加するのか」について説明していきますね。

恋愛ゲームである以上、どうしても男女の関わりは避けられないわけですが、論理として最もわかりやすいものは、妹キャラの日下部加奈子の「戦う理由」です。

お兄ちゃんを守るため。


加奈子は実の兄を戦争で亡くし、その面影の残る主人公を兄代わりとし、愛を育むわけですが、加奈子ルートにおいては、彼女も主人公も、愛する恋人を守るために戦争に参加します。もちろん実際に盾になったりするのではなく、主人公は戦闘機に乗り空で、加奈子は整備・地上部隊としてそれぞれの役割を全うするのですが。
このルートではやたら、「誰かのために戦う」ことが強調されています。

友達を置いて逃げ出せないさ。

今のセリフ、クー[引用者注:戦死した友人の愛称]の墓前で言ってみろ!

極めつけは、最後、戦地で離れ離れになった主人公と加奈子が、戦後に出会うというシーンで終わるのですが、そこでの語り手は以下のように二人を捉えています。

少なくとも、皆が命がけで戦い続けた意味は、きっとあったんだ。
……そうでなければ、浮かばれない。

戦争の大義が、見事に恋愛へと還元されています。非難するわけではないのですが、セカイ系と呼ばれるもののお手本がここに出来上がっています。
しかし、これも作品全体テーマへの伏線なのでしょう。このルートの最初の方で、物語の鍵を握る、主人公たちの周りでカメラを抱え、相談役にも回る戦争ジャーナリストが痛烈な批判をおこなっています。

大切な誰かを守るために……そうして戦争は正当化されていくのよね。


「戦う理由」のレベルが深化するなんてことばを使ってしまうと、戦争のリアリズムを無視することになってしまうのですが、非現実のゲームを利用して、「戦争」を考えようとする試み自体にいささか無理があるので、この書き方で許してください。
「戦争」ということばを聞くだけで思考停止して、その「戦争」に関わる個別的な事情がすっとばされてしまうことは現実では日常茶飯事です。だとしたら、その「戦争」についての考えを深めるためには、実際の戦地に行くか、実際に戦争が行われている文学作品から手がかりを得るかぐらいしか方法がないと思います。

とにかく、加奈子ルートでの「戦争」は、みんながみんな「誰かのために」戦います。戦争を指揮する司令部の描写はひたすら隠され、ただバタバタと死んでいく学生の姿だけがクローズアップされます。絵に描いたような泥沼戦争です。負け戦です。だから、こんなセリフさえも飛び出します。

死に後から理由をつけて、美化するのは残された人間が負い目に思っているからですよ。
それが真に正しいなら、それは無駄死にでいい。……もとから、どんな死にも意味はないのだから。


自らの戦いを正当化するために、「他人のため」という大義名分をふりかざすのです。それは美しい友情・愛情ですが、この作品ではそれを真に美しいものとして表現してはいません。
では、他のルートではどうなっているのでしょうか。