『群青』が解体する「日本」3

前回は、「日本」「関東」「関西」といった大きな枠でのこのゲームの概観をおこないましたが、
もう少しミクロな視点で、戦争の恐ろしさについて描写する部分もあります。

例えば、主人公であるエースパイロットは、新しく着任した女性パイロットに訓練をつけてもらいます。その女性パイロットは、飛行一種卒業生の唯一の五体満足者であるといいます。

彼女は、成績優秀の主人公に対して、厳しい体力トレーニングを課します。
戦闘機乗りに必要なのは、作戦がうまくいかないときに諦める知力なのではなく、
生に対する執念なのだということを伝えるために。

最後まで飛び続けられるパイロットが、よいパイロットなのよ。

「戦争」ということばを聞いて当たり前のように感じる(ことばではわかっているような気がする)絶望を、
作品内では丹念に群像劇化していきます。

たとえば、戦闘機の墜落(MIA:戦闘中行方不明)とともに消える管制塔の座標点。
制服を着る必要がなくても、「私服で軍事訓練に来る気にはなれない」と語るパイロット。
アラート待機するパイロットの、一番待機と二番待機の違い。(一番は戦闘機に乗りっぱなし、二番は少し余裕アリ)
空戦は示威行為であるがゆえに、五分五分の状況では始まらないという前線の実態。


「戦争」一般の社会常識が語られる一方で、
物語は少しずつ、戦争をめぐる個々人の問題をクローズアップしていきます。

ヒロインのひとりである日下部加奈子は、
兄をこの「国家」間戦争により失いました。
兄は将来を有望されたエースパイロットだったのですが、ほんの気の迷いで戦死、
妹は兄の死の理由を解き明かそうと、戦争に関わっていこうとするのでありました。


第二章のエピグラムでは、「国家とは何か」という問題に対し、
「国家とは社会自体の構造(ストラクチュア)」であると説明されています。

ではその構造を形作る構成員は、国家をどのように捉えているのか。
各ヒロインの「戦争への参加理由」に触れつつ、国家と個の問題を検討してみたいと思います。