『群青』が解体する「日本」アブストラクト


群青の空を越えて』は、lightから2005年に発売されたPCゲームです。
一言で言うと「架空戦記」モノ。日本が関西と関東とまっぷたつに分かれて戦争を開始する、というトンデモストーリーです。

・・・ところが、この作品、「緻密な考証」を売りにしているだけのことはあって、「そんな設定あるわけないやろ!」で終わらせられる作品ではありませんでした。現代の日本で戦争が起こらず、どうして1960年代末に起こった学生闘争がいまや過去のものになりつつあるのかという問題を提起する、発言力の強いゲームだと思います。僕はそう捉えました。


そこで今回、このゲームがどのようにして「日本」というまとまりを解体しているのか、という解釈を7〜10回程度で書いていきます。
・・・ところが、論旨の流れに沿って書いていこうとするも、考えが全くまとまりません。なので、今回は『群青の空を越えて』という作品のストーリーを辿りながら、以下の4つの視点で少しずつ立ち止まっていきたいと思います。自己満足感の強い記事になってしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです。


1.日本の「東京(江戸)」と「京都」
中世以降の日本史の捉え方のひとつである「公武の関係」を軸に、関東と関西の戦いという ものが歴史的にどういう意味を持っているのか分析します。


2.「日本」のエスニシティーとネイション
ゲーム中での「北海道・東北地方」「沖縄」の扱われ方に着目し、日本に生まれた「単一民族」の神話を解体します。
また、東京と京都に挟まれた「東海地方」にも着目します。


3.「東アジア共同体」構想
関東vs関西の戦争の契機としてゲーム中で語られている「円経済圏構想」というワードを手がかりに、日本以外のネイションをも包括する東アジア共同体の可能性を提示します。余裕があればヨーロッパ連合との関連なども。


4.「戦争」を語るさまざまな言説(戦争は本当に「暴力」なのか?)
なぜ戦争が「いけない」ことなのか。もちろん戦争は「いけない」ことなのですが、その言説をめぐっての問題をいくつか考えていきます。学生闘争や国際政治学の問題でしょうか。


以上を見て頂ければわかるように、僕の限界を超えています(笑)じっくり勉強して、じっくり書いていきたいと思います。


(参考) おそらく本文で触れるであろう作品群
万城目学プリンセス・トヨトミ
三崎亜記『となり町戦争』
井上ひさし吉里吉里人』
星新一「マイ国家」
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』
首藤 剛志『都立高校独立国』
梅棹忠夫の北海道独立論
井上章一『日本に古代はあったのか』
絓秀美『1968』
姜尚中東北アジア共同の家をめざして』『反ナショナリズム―帝国の妄想と国家の暴力に抗して』『ナショナリズムの克服』
平川均・石川幸一・小原篤次・小林尚朗『東アジアのグローバル化地域統合
吉野文雄『東アジア共同体は本当に必要なのか─日本の進むべき道を経済の視点から明らかにする』