『グルグル』とドラクエ的世界観

アブストラクトにも書きましたが、今回から数回で、「魔法陣グルグル」という作品がこの世に問いたかったことを書いていきたいと思います。

この漫画がどういった漫画であるかを説明するのは難しいのですが、普通のRPG漫画を想像して頂けるとそんな感じでいいんだと思います。

勇者は、ある魔法使いに出会い、王様のもとへ行く。
王様に「勇者」だと認められた彼は、魔王ギリを倒す旅に出た。
変な仲間に囲まれつつも、勇者は自然を司る4人の王に会い、助けを借りる。
対して魔法使いの方は、自分の出生の秘密を知り、魔法「グルグル」を使える存在であるミグミグ族のことについて理解していく。
そして最後に魔王を倒し、2人は恋を成就させ、世界に平和が訪れる。


簡単に言えばこんなストーリーです。まんまドラクエじゃね?www

ストーリーだけ見ればドラクエにしか見えないんですが、作者である衛藤ヒロユキは、作品の最初の方では、「ドラクエ」ってこんなおかしな世界だよね、というテーマで、ギャグを配置していきます。例えばこんなの。定番ですよね。



作者は、ドラクエ的世界観を皮肉りながら、ドラクエ的世界観の上に物語を綴っていきます。
この物語は、たいていのRPGと同じように、「レベル」という概念で主人公や登場人物の強さを計り、「通貨」という概念で商品の交換を行っています。しかし、その2つの概念が、あるとき、音を立てて崩れていくのです。
例えば、物語がもう4分の1くらい経過しているときに、こんなコマが登場します。


レベル2てあんた・・・死にますよw 

ちなみに、途中から加わった仲間のレベルは、このとき10でした。なぜ彼らは、レベル2や3で、生き残っていけたのでしょうか?

それは彼らが、「レベル」という概念で人間の強さが計られる世界に属していなかったからなのです。こんなほのぼのとしたコマもあります。



彼らにとって、「レベル」なんてのはどうでもいいものだったのかもしれません。これ以後、この物語には「レベル」という概念はほとんど登場しなくなります。作者ですら、この「レベル」で計られる強さから彼らを遠ざけようと考えたのでしょう。
同時に、物語の最初の頃には当たり前に見られた「お金でモノを買う」というシステムも、物語の終盤頃には一切登場しなくなります。モノは人からもらったり、そもそも購入するところがなかったりということになります。もちろん例外的な状況もあるのですが、そんな場合でもお金はリアルなモノではなく、完全に戯画化されてしまいます。モノと交換するための貨幣ではなく、登場人物との係わり合いのパターンを示すひとつのたとえとして利用されるようになります。お金が、市場経済の指標から外れてしまった象徴ともいえるでしょう。

もう一点、「ドラクエ的世界観」とも呼べる、善と悪の二元論という世界観をも『グルグル』は乗り越えてしまいます。この点に関しては、次回お話しします。